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この夏スペインで思いがけずロダンの数々の作品を目にする機会に恵まれた。

スペイン最南端、アンダルシア地方の港町マラガに滞在していたのだが7月、8月のうだるような灼熱の暑さに少し辟易していたところにある日清涼なニュースをパリの友人が提供してくれた。

マラガ市の所有する展示会場にて無料でロダンの作品が見られるとのこと。このニュースを提供してくれたパリジェンヌの友人はパリのロダン美術館でも見たことのない作品を多数鑑賞出来たといって大変満悦した様子だった。そこで早速この展示会に赴く事にした。

行く道中ロダンについての記憶の回想にふけった。もう数年も前の事だがパリのロダン美術館を初めて訪れた時の感動は今でも鮮明に記憶に残っている。

しなやかな手、肉体、まるで熱い血が通っているかのような彫刻、そこには苦悩や愛の陶酔、人間が根底に持つ様々な深い感情、本能が見事に表現されていた。

巨匠という言葉でおさめてしまってよいのだろうか?特別に神の手がロダンには与えられたのかもしれない。

そんな事を考えているうちに展示会にたどり着いた。思えばフランス人ロダンに何の縁もゆかりもない小さな町に彼の作品を持ってきて、それを無料で市民や観光客に提供するスペインのアートに対するふところの深い姿勢には関心してしまう。

さて本題の市の館内は小さな展示会場ながらフロア三階に分けて沢山の作品を分割して展示していた。

作品の大半はパリのロダン美術館から借りてきているブロンズ像ではあったが、目に新しい作品が数々あった。

おそらく美術館の収蔵庫に普段は眠っている作品達が企画展のために借り出されたのだろう。中にはスケッチ画も何枚か展示されていて興味深かった。

ブロンズ像の大半は神話がモチーフになっていた。作家バルザックの像も何点かあった。

どうやらロダンは多数の芸術家、作家、音楽家の肖像を手がけたらしい。そして彼らモデルの表情、目つきの詳細を捉える事に専心して、終には彼らを独特の存在物に変えてしまうほどであった。展示場にあったバルザック像に言及するならば作家としてのバルザックの顔を綺麗にそのまま肖像にしたというよりは、ロダンのフィルターを通したオリジナルな表情と格好のバルザックがそこにはあった。

面白い。バルザックがロダンの手にかかればたちまち仙人に早代わりである。しかしながら、そこに偉大な文豪作家の威厳と大きな存在感が感じられバルザックのカリスマ性やスピリットが像に刻まれているところは流石と感服した。

ところでロダンがかなり遅咲きの特異な芸術家であるという事は果たしてどれだけ知られているのだろう。37歳になるまで未だに世にロダンという名前は知られていなかったのである。そしてその二十年後の57歳の時に彫刻家としての頂点をむかえる事になる。彼は人生の前半の長い歳月を準備活動に費やし、そのずっと後に集中的に具体的な創作活動へと移行していった作家である。

スペインで見たロダンの展示会の最後にロダンの言葉やスケッチが載っているノートのレプリカが机の上に置かれていた。

ロダンの残した言葉が印象に残った。そこにはロダンが決して芸術家の道を長い準備過程であきらめなかったこと、揺ぎ無い信念で創作への熱い思いをはせていた事が凝縮されていた。言うは易く行うは難し。

言葉だけではなく行う事に最後まで真摯で貪欲であったロダンの生き方に非凡な人間性を感じる。全く彼の作品も生き方も考えさせられることばかりである。

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by galerie-h | 2009-11-30 16:54

ジョアン・ミロの思い

Joan Miro、国際的にその名が知られる20世紀を代表するスペイン人画家の一人である。

彼の名前をスペイン語読みするならばホアン・ミロであるが、カタルーニャ地方で生まれたためカタルーニャ語で発音するジョアン・ミロが正式な読み方と近年では後者の読みで表記される事が多い。今日私たちがよく知る表現で描かれたミロの絵といえば、子供のような大胆なフォルムで自然界の星や人間、鳥などを不可思議で夢の世界のように描いた絵を連想する人が多いのではないだろうか。そのようなミロの作品に触れるべく、今回は彼の思想に少し触れてみたい。その前にここで、ミロの作品について述べたスペインのテキストを一部引用する。

(ミロの作品には空想や想像を大きくふくらませ、自分の記憶や存在意識の中から引き抜いてきたモチーフの数々が描かれている。。以下略)この言葉を端的に解釈するならば、ミロは子供の心で描くことのできる画家だったということだろう。子供の頭の中は常に空想や想像にあふれていて、それをふくらませては現実にはありえないものを描いてしまったり、空想の中でつくりあげたものを大胆にも紙の上にのびのびと表現するのである。もちろんこれはクリエィティブな分野を担う大人達も意図的にしている事ではあるが、無意識に自分の心のおもむくままに無垢な心でのびのびと描けるのは子供の天性のように思う。

あたかもそのような子供が描いたかのようなタッチで数々の作品を残したミロ。そんな彼の思想を垣間見ることが出来るような、生前のミロ本人による興味深い言葉をここに一部抜粋する。

私にとっては一枚のはっぱの切れ端の方が一本の木そのものよりも重要であり、ひとつの大きな山よりもそこにある小さなひとつの石ころが、一匹の鷲よりも一羽のトンボの方が大切なのです。西洋文明では大きな量感が必要とされています。巨大な山の中に全ての特権が含まれているのです。中心だけを見据える事は平凡で陳腐な事です。ロマン派のフレスコ画にはあらゆる細部にまなざしがあります。世界全体があなたを見つめているのです。澄み渡った空にも、木々の中にも、全ての、全ての部分にまなざしがあるのです。私にとっては全てが生きているのです。一本の木は動物たちのように様々な人生を持っています。木には魂も精神も存在し、ただの幹と葉ではないのです。       ジョアン・ミロ

以上の言葉のふしぶしから、ミロがいかにスピリチュアルな画家であったかという事が伺える。自然界の細部に、小さな部分にあたたかい視点と愛情を向ける彼の姿勢とその作品は現代人の物質主義的な自然に対する姿勢とは対極にある気がするのは私だけだろうか。

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by galerie-h | 2009-11-30 16:44
ピカソの生まれ故郷であるスペインで彼が幼少時代を過ごした生家の近くにパブロ・ルイス・ピカソ財団が所有する小さな美術展示室がある。際立った企画展は催されず建物の外観も素朴なためか、すぐそばの生家を訪れる観光客は五万といるにもかかわらずこの建物は多くの人に素通りされ展示室はいつもがらんとしている。私がはじめてこの展示室を訪れた時もインフォメーションの係員に(ここはピカソ美術館でもないしピカソの生家でもないし特にピカソの作品があるわけでもないですよ。場所を間違っていませんか?ピカソの生家ならここからすぐで右に曲がって。。)と説明をはじめたので(大丈夫です。間違っていません。私はここの展示室が見たいのです。)と言ったほどである。
あらかた多くの観光客が間違って入ってきて(なんだピカソの作品はないのか)と入り口ですぐ出て行くのであろうと容易に想像がついた。しかしながらこの展示室を完全に無視するのはもったいない。もしもピカソの生家を訪れる機会があるならばこの財団の展示室もセットで見ていただきたい。流石にピカソ財団が経営しているだけの事はあり、しっかりとしたコンセプトで生前のピカソに関係した作家等をとりあげていて興味深い展示がなされている。
例えば最近までとりあげられていた作家は彫刻家フリオ・ゴンザレス。バルセロナで生まれフランスで没した彼は当時のアート界のモダニズムの流れとアバンギャルドの流れの橋渡しをするような実験的作品を創りあげた先駆者である。ピカソとほぼ同時代を生きたスペインのアーティストでなおかつピカソの作風に深い影響を与えた人物の一人でもある。そしてピカソと親友であった。展示室には生前のピカソによって水彩画で描かれたフリオ・ゴンザレスの肖像画が展示されていた。シンプルで丁寧な絵筆の跡に深い心からの信頼を持ってフリオと交流していた事が垣間見られるような作品で、見るものの心に訴えるものがあった。

その他の展示品の大半はフリオ・ゴンザレスの作品の数々で埋め尽くされていた。

デコラティブな家具や彫金アクセサリーのような芸術的な作品を造る事に勤しんだ鍛冶屋の息子として生まれた彼の作品の大半はメタルが使用された。彫刻から家具、ジュエリー等、遊び心をもって自由な発想で創造された彼の作品の数々を眺めていると何かピカソのメタルによる彫刻作品に通ずるものを感じた。中には(これはピカソの作品なのでは?)と何度も作家名を確認してしまった作品も何点かあった。それもそのはずフリオとピカソは1928年から1930年の間に同じアトリエで互いに何時間も過ごしては様々な作品創りを試みたのである。二人がアトリエで密に共有した時間の中で互いの創造的なアイデアは常につきることなくあふれ出し、結果、技術的な問題の解決策や大胆な試みの作品の創造の恩恵をもたらす事となった。これについてピカソは次のような発言を残している。

(1908年のあの頃のように、私は再び幸せを感じている。)

1908年にピカソにどのような幸せな出来事があったのかは不明であるが、心から思った事を包み隠さず表現するピカソの当時の満足感が伝わってくるシンプルな言葉である。そして上記のように、この二人の作家がアトリエで共有した月日の中で、絵画のみの活動にとどまらない本当の意味での彫刻家としてのピカソが誕生し、一方フリオの方は鉄と溶接による彼の日々の仕事の中に最終的な不動の天職を再発見する事となった。そのようなフリオ・ゴンザレスの軌跡をたどるような作品が数々陳列されていた展示室の最後は、特別な一点の作品で締めくくられていた。その作品とはフリオ・ゴンザレスとパブロ・ピカソによって1929年から1931年の間に共同で製作された唯一の版画であった。

1+1=2が数学の真理である事は周知の事実である。

しかしながら、ひっそりとした展示室の中で私は、この二人の偉大な作家の出会いは

1+1=∞でありうるという芸術の可能性を見せてくれているように感じたのである。
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(作家の晩年のフランスのアトリエ)

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by galerie-h | 2009-11-25 13:18