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by galerie-h

街を歩くと実に様々なポスターに日々出会います。そして街角に新しいポスターが貼られたかと思えば、また違うポスターがその上から貼られたり、張り替えられたりと、情報社会の都会のポスター事情はとかく慌しいものですね。


千差万別のポスターの中で、たまにデザインなどが目を引くポスターに出会うこともありますが、あまり近年でこれは!と思うポスターを見かけた覚えがありません。しかし、最近、実に個人的な感想ではありますが、これはスカッとしてていいな、と思うポスターを見ました。横尾忠則が新しいNHK大河ドラマのためにデザインしたポスターです。ここでポスターの内容の詳細を書きませんが、大変シンプルで良い、と思いました。ポスターの原点回帰というか、簡潔で大胆で自由な印象がします。それは今までに、数々の素晴らしい繊細なポスターを数多く手がけてきた横尾忠則だからこそ、できた技なのでしょう。


時代は少し遡るのですが、シンプルで力強い印象のポスターで、脳裏に思い出すのが、1984年ロサンゼルス・オリンピックの公式ポスターです。ポップ・アートの旗手、ロイ・リキテンスタインが製作しました。

単純なフォルムながら躍動感にあふれる素晴らしいポスターです。

誰が見てもわかりやすく、はっきりとしていて、でもそれだけではない魅力、作家の個性がはっきりとポスターの中に存在しています。


ロイ・リキテンスタインは自分のアート作品について次のような言葉を残しています。


「僕の作品は見方についてであって、形については言及していない」


この彼の言葉は決してポスター論ではないのですが、

ロイ・リキテンスタインが手がけたような、際立つポスターの本質に迫るような言葉にもとれる気がします。

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# by galerie-h | 2019-01-31 13:01

東山魁夷が描いた京都


2019年の睦月、皆さま新しい気持ちで新年を迎えられたことでしょう。海外で新年を過ごされている方もいらっしゃるかもしれませんね。

 ところで日本にはここ数年、外国から大勢の外国人観光客が訪れていますが、日本の観光スポットとして人気のある都市の名前に必ず『Kyoto』が挙げられます。確かに古都、京都は古い歴史を持ち、日本の伝統文化が今も息づく街のひとつです。ですから海外からの観光客が、異国情緒を満喫するために京都を訪れるのはうなずけます。

しかし、昨今の京都は外国人観光客の数が過密状態で、その受け入れのための箱作りとして古い建物を取り壊し、ホテルや新しい建物などを建設する動きもあるため、京都らしい景観やイメージを崩してしまうのでは。。という地元の方の不満や懸念の声もあるようです。

新しい風が吹くのは良いことではありますが、京都という場所は日本人にとっても特別な所、やはり慎重に街の景観を守ってほしいと思うのが多くの人の思いではないでしょうか。


京都を愛した文豪、川端康成は今から半世紀以上前に東山魁夷に『京都』を描いてほしいと頼みました。

当時、急速な近代化の流れに呑まれ町の姿は変貌してゆきます。それに危惧した川端康成は次のように言いました。


「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」


こうした川端康成の言葉を受け、東山魁夷は旅人として京都を歩き、スケッチを重ね、「京洛四季」という連作を手がけました。「京洛四季」には四季折々の京都が東山魁夷の手によって、静謐に美しく描かれています。それは見る者の心に深く、静なる感動を呼び起こします。

「都のすがたしばしとどめん」と京都に思いを馳せた川端康成に応えるかのように、東山魁夷の描いた京都は、永遠の無限の美を絵画の中にとどめています。

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# by galerie-h | 2019-01-08 11:47

12月になると、クリスマスの時期が到来したことを告げるかのように、街や店舗のショーウィンドーが、クリスマスの飾りつけやイルミネーションで鮮やかに彩られる光景が目に付きます。 この時期には様々な種類のクリスマス用のグリーティングカードが店舗に並んだりします。欧米人にとってこのクリスマスカードはとても馴染みのあるもの。クリスマスカードの起源は古く1840年にまで遡りますが、クリスマスカードを送る習慣が普及するのは、印刷技術が進歩して大量生産が可能となる時代になってからのことです。


1956年、宝飾品でその名が知れたティファニー社はアンディ・ウォーホルにクリスマスカードのデザインを依頼しました。そして1962年まで毎年ウォーホルがデザインするクリスマスカードがティファニー社によって発行されました。アンディ・ウォーホルはクリスマスツリーや星、プレゼントなど沢山のクリスマスのモチーフを繊細なタッチで描きました。とりわけ、ウォーホルは食べ物をクリスマスカードのテーマとしてよく使いました。ワインやフルーツが沢山詰められたバスケットに、赤いリボンがかかっている様子など、人々が思い描く幸せで完璧なクリスマスのイメージがアンディ・ウォーホルによってクリスマスカードの一枚、一枚に表現されました。クリスマスというテーマ自体がアーティストとしてウォーホルに興味を与えたようですが、実際にとても本人はクリスマスが大好きだったようです。アンディ・ウォーホルはポップな物が大好きでした。考えれば、今私たちが街で目にする『クリスマス』は大変「ポップなもの」と言えます。現代のクリスマスは物質的で、全世界中に知られていて、キッチュで民主主義的で。。その実、中身は空虚な資本主義の大量消費のクリスマス。何ともウォーホルが喜びそうなテーマが『クリスマス』に詰まっています。


実際のところ、アンディ・ウォーホルは子供時代にアメリカらしい完璧なクリスマスというものを経験していません。それは彼の家族が貧しかったということ、又、移民でありビザンチンカトリックの家であったため、ウォーホルの家ではクリスマスは1月6日に祝っていたのです。


ニューヨークの教会で、慈善の食事を配る生前のアンディ・ウォーホルの姿が映っている写真が今に残っています。その写真についてある記者が「そこには何の飾りつけも見えない、だがそこにクリスマスが見える」と発言しています。

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# by galerie-h | 2018-12-03 11:47

長谷川潔の黒


街を歩く人々の服装に黒色のコーディネートが増えるようになると、季節も移ろい、だんだんと寒い季節になってきたのだなと感じます。


 黒色とはすべての色が包括されている宇宙のような色。そして黒は派手な色彩にも負けず劣らずの強い自己主張をする色でもあります。

明治に生まれ、大正、昭和期に活躍した黒の版画家と言われる長谷川潔は黒の手法を極め、黒色を基調、メインカラーとした作品を数多く手がけました。

その作品は静謐で凛然としています。まるで時が静止してしまったかのような、独特の世界観へと鑑賞者を引き込む強さがあるのは、その作品が持つ独特の黒い色も関係しているように思われます。


 長谷川潔の人生について少し言及すると、裕福な家庭に生まれるものの、10代の時に兄弟と父親を亡くし、中学を卒業する頃に母親を失います。好きだった美術の道は、洋画研究所に入り黒田清輝や岡田三郎助、藤島武二から師事を受けました。その後大学には進まず、フランスへ渡ります。版画技術の習得に励み、作品を出品したり個展を開くことで高い評価を得ます。しかしその後、第二次世界大戦の影響で苦境に立たされます。それでも日本の地を二度と踏むことはなく、戦後に創作をフランスで再開し、数々の作品を発表してゆき、パリで静かに息を引き取りました。


長谷川潔がその人生において、幼少期からどれほど精神的に深い絶望や喪失感を味わい、異国において、幾多の苦難を乗り越えてきたのか、ということに思いを馳せると、長谷川潔の生み出した黒い色は、その人生から抽出したエッセンスのような、深く重い色のようにも思われます。


「黒には7色の色がある」   長谷川潔


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# by galerie-h | 2018-10-29 11:53

竹久夢二

ある事に秀でたアーティストが、全く違う分野においてもその才能を発揮したり、様々な事に挑戦したりという例は現代において、枚挙にいとまがありません。


様々な分野において活躍するアーティストの事を総称してマルチアーティストと言うことがあります。

マルチアーティストという言葉は、現代において飽和状態に達しているとまでは言いませんが、よく耳にします。しかしそれが100年前となると、どうでしょうか?

まだマルチアーティストという言葉も使われていなかった大正時代に、マルチアーティストの先駆者とも言える人物が日本にもいました。その人物とは美人画で知られる竹久夢二です。


竹久夢二は叙情性に富んだ独特の美人画を描いた挿絵画家として広く知られていますが、本の装丁や便箋などの商業デザインも数多く手がけ、日本における商業デザイナーの草分け的存在としても今日評価されています。そのような竹久夢二が、ある歌の作詞をしていた事はご存知でしょうか。ラジオやテレビなどのメディアによって、それと知らず耳にされた事がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。


『宵待草』という歌の歌詞を竹久夢二が手がけました。厳密に言うと、夢二は歌のための歌詞を書こうとして書いたのではありません。『宵待草』は、竹久夢二の詩歌を原詩としています。夢二は、ある自分のはかない恋の体験に基づく胸の内の悲しみを、詩に綴りました。

その後、バイオリニストによって作曲され、抒情歌『宵待草』が誕生しました。『宵待草』がセノオ楽譜から発刊されると、これを機に全国的に愛唱されることになりました。


竹久夢二の絵を視覚からではなく、音によってその叙情性を感じることのできる『宵待草』を秋の夜長に聞いてみてはいかがでしょう。

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# by galerie-h | 2018-10-02 11:19