ミロと交流のあった日本人
2020年 01月 07日
ジョアン・ミロという芸術家が、多かれ少なかれジャポニスムの影響を受けていた、という事は以前にもこちらで書かせていただきました。19世紀にヨーロッパで流行した日本趣味が20世紀前半に多くの芸術家に影響を与えたのですから、20世紀の代表的な画家の一人であるミロがその影響を受けるのも、自然な流れだったのかもしれません。
実は、ミロはただジャポニスムの影響を受けただけではなく、生前、ある日本人と交流があったのです。そしてミロはその人物を深く敬愛していました。
皆さまは瀧口修造という人物の名前を聞いたことがありますか。瀧口修造は詩人であり、画家であるとともに、美術評論家でした。彼は日本の美術界に「シュルレアリスム」という概念を波及させることに貢献し、日本の現代美術へ多大な影響を与えました。
瀧口修造はフランスのシュルレアリスト、アンドレ・ブルトンの本を翻訳しましたが、それは日本における最初の本格的なシュルレアリスムについての文献でした。
瀧口修造は海外の本を翻訳するだけではなく、実際にヨーロッパのシュルレアリストたちと積極的に交流を深めました。
中でもシュルレアリストの中心的画家だったミロについて、瀧口修造は1940年に著書「ミロ」を執筆。それを直接ミロに手渡すのは、20年も後の事となりましたが、ミロはそれが世界初のミロ論だということを知り驚嘆したそうです。それを機に、1970年、瀧口修造の詩とミロの版画による共著の詩画集『手作り諺 ジョアン・ミロに』がバルセロナで刊行されました。その詩画集の詩のごくごく一部をここに抜粋します。
石は土につまずく。土はやさしく。
蜜蜂の羽搏きつよし、月清し。
掌中に降る露の餞、時は秒。
このように、どこか不思議な感覚のする詩に、ミロの版画はとても相性が良いような気がします。
瀧口修造の芸術界に於ける尽力と情熱、そしてミロの瀧口に対する敬愛の情により、日本とスペイン、互いの国境を越えた、芸術という架け橋で繋がれた共著が生まれたのです。