東山魁夷が描いた京都
2019年 01月 08日
2019年の睦月、皆さま新しい気持ちで新年を迎えられたことでしょう。海外で新年を過ごされている方もいらっしゃるかもしれませんね。
ところで日本にはここ数年、外国から大勢の外国人観光客が訪れていますが、日本の観光スポットとして人気のある都市の名前に必ず『Kyoto』が挙げられます。確かに古都、京都は古い歴史を持ち、日本の伝統文化が今も息づく街のひとつです。ですから海外からの観光客が、異国情緒を満喫するために京都を訪れるのはうなずけます。
しかし、昨今の京都は外国人観光客の数が過密状態で、その受け入れのための箱作りとして古い建物を取り壊し、ホテルや新しい建物などを建設する動きもあるため、京都らしい景観やイメージを崩してしまうのでは。。という地元の方の不満や懸念の声もあるようです。
新しい風が吹くのは良いことではありますが、京都という場所は日本人にとっても特別な所、やはり慎重に街の景観を守ってほしいと思うのが多くの人の思いではないでしょうか。
京都を愛した文豪、川端康成は今から半世紀以上前に東山魁夷に『京都』を描いてほしいと頼みました。
当時、急速な近代化の流れに呑まれ町の姿は変貌してゆきます。それに危惧した川端康成は次のように言いました。
「京都は今描いといていただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」
こうした川端康成の言葉を受け、東山魁夷は旅人として京都を歩き、スケッチを重ね、「京洛四季」という連作を手がけました。「京洛四季」には四季折々の京都が東山魁夷の手によって、静謐に美しく描かれています。それは見る者の心に深く、静なる感動を呼び起こします。
「都のすがたしばしとどめん」と京都に思いを馳せた川端康成に応えるかのように、東山魁夷の描いた京都は、永遠の無限の美を絵画の中にとどめています。