竹久夢二
2018年 10月 02日
ある事に秀でたアーティストが、全く違う分野においてもその才能を発揮したり、様々な事に挑戦したりという例は現代において、枚挙にいとまがありません。
様々な分野において活躍するアーティストの事を総称してマルチアーティストと言うことがあります。
マルチアーティストという言葉は、現代において飽和状態に達しているとまでは言いませんが、よく耳にします。しかしそれが100年前となると、どうでしょうか?
まだマルチアーティストという言葉も使われていなかった大正時代に、マルチアーティストの先駆者とも言える人物が日本にもいました。その人物とは美人画で知られる竹久夢二です。
竹久夢二は叙情性に富んだ独特の美人画を描いた挿絵画家として広く知られていますが、本の装丁や便箋などの商業デザインも数多く手がけ、日本における商業デザイナーの草分け的存在としても今日評価されています。そのような竹久夢二が、ある歌の作詞をしていた事はご存知でしょうか。ラジオやテレビなどのメディアによって、それと知らず耳にされた事がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
『宵待草』という歌の歌詞を竹久夢二が手がけました。厳密に言うと、夢二は歌のための歌詞を書こうとして書いたのではありません。『宵待草』は、竹久夢二の詩歌を原詩としています。夢二は、ある自分のはかない恋の体験に基づく胸の内の悲しみを、詩に綴りました。
その後、バイオリニストによって作曲され、抒情歌『宵待草』が誕生しました。『宵待草』がセノオ楽譜から発刊されると、これを機に全国的に愛唱されることになりました。
竹久夢二の絵を視覚からではなく、音によってその叙情性を感じることのできる『宵待草』を秋の夜長に聞いてみてはいかがでしょう。