パウル・クレーとパブロ・ピカソ
2018年 08月 31日
パウル・クレーは生前、現代絵画の巨匠は二人いて、それは一つの花の名に表されていると言いました。
その花の名はクレマチス(クレーとマチス)。冗談好きだったパウル・クレーの言葉なので、どこまで本気で言ったのかは知る由もありませんが、言葉あそびで実にうまく言ったものですね。ですが、クレーと同時代の巨匠で、決して忘れてはいけない人がいます。あのパブロ・ピカソです。
クレーとピカソは同世代で、クレーがピカソより2才年上でした。興味深いことに、国も場所も違いますが、クレーもピカソも各々の経歴の中で、美術学校を退学しています。おそらく、この二人の芸術家は学校という枠には収まりきらない、個性と才能をアカデミックな場で持て余していたのかもしれません。
その後、クレーもピカソも互いに旅や様々な経験をする中で、自分達の絵画を追求して、スタイルを確立していきます。
一般的に、クレーの絵は小さく、ピカソの絵は大きいです。クレーが内向的であったのに対して、ピカソは外向的でした。ピカソが書き残した文章には、クレーは小さな作品の巨匠で、ピカソ自身は大きな作品の巨匠だと言っています。このような言葉を残したピカソは、クレーを高く評価していたのでしょうか。
いずれにせよ、ピカソがクレーに興味を持っていたのは間違いないようです。というのもピカソとクレーはその生涯において二度だけ個人的に顔を合わせているのですが、二度目の出会いは画商の仲介によって、ピカソが直々にスイスまで来てクレーを訪問したようです。ピカソは芸術家をわざわざ訪問したりはしなかったと言われていますから、興味深いエピソードです。クレーはピカソと最後に会った二年後にピカソを意識した「泣く女」を描きました。
クレーにとってもピカソは常に気になる存在であったようで、作品の中でピカソへのオマージュや、ピカソのパロディーを描いたりしました。
クレーとピカソ、この二人の芸術家の絵画は非常に異なってはいますが、この二大巨匠は同時代を生き、間接的であれ直接的であれ、互いに影響を与えたり、受けたりした二人だったのです。