パウル・クレー(学生時代の苦悩)
2018年 07月 31日
北アフリカの血が混ざっていたため、茶色の大きな目と黒い髪の毛を持ち、砂漠の遊牧民のような風貌をしていたパウル・クレー。音楽に満ちあふれた家で育ち、その芸術的感性と才能を自然と幼い頃から育んでいきました。
「クレーの日記」によると、「まだ年もゆかないこの私に、クレヨンで画を描くことを教えてくれたのは、この祖母だ」と書かれています。この祖母というのは母方の祖母で、彼女はクレーが幼い頃に、線画を描いてみせたようです。後にクレーは線描画家としてスタートしますが、それは幼児期に祖母から絵の手ほどきを受けたことによる端を発するようです。
クレーは高校卒業後、自分の進むべき道、進路に悩みます。文学に没頭するのか、音楽を創造していくのか、考えた末に、造形芸術に心惹かれ、美術の勉強のためにドイツへ行き画塾に入り、その翌年に美術学校に入学します。その頃のことをクレーは次のように回顧しています。
「みのり多い美術学校時代を過ごせるように、いろいろ努力してみたが、私が本当に力を入れて勉強したのは造形美術ではなく、むしろ文学的・詩的なものだったように思う。なぜまた美術学校などへ行ったのか。叔父や叔母に聞かれたとき、『はい、私も美術学校を卒業したのです』と答えられるため?」
画家パウル・クレーの道は決して初めから平坦なものではなかったのです。