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ジャン=ミシェル•バスキアの生涯

『バスキアのすべて』という映画を見た。

バスキアといえば、NY、グラフィティ、そしてあの独特のタッチが頭に浮かんでくるのだが、その人物像については明確なイメージを持っていなかったので今回このドキュメンタリー映画を大変興味深く鑑賞した。

軽快な音楽やジャズがところどころにちりばめられバスキアの絵画が視覚的に見る物にうったえてくる大胆で洒落たカットの映画だった。

アーティストの生前の言葉やインタビュー映像を切り貼りして再構成した映画を見ることは、そのアーティストの作品を直にじっくりと鑑賞する事には及ばない。

しかしメディアを通じてそのアーティストの素顔や生き様に触れられる事は利点であり、時として我々に新しい視点や深みを、実際にその作品を鑑賞する際にもたらせてくれる事もある。

映画の中のバスキアは大きな目を真っすぐにカメラのレンズにむけて話をする。

無垢な目で子供のように無邪気に笑う一方で、言葉を発し終えた後に時折見せる虚無的な目が印象的である。

深く険しい表情の中に繊細な感受性を感じさせる。

彼の表情が、雄弁に彼の内面世界の複雑さを物語っている。 

バスキアは中産階級の家で育ち、プエルトリコ系移民である母親とハイチ系移民の父親のもとで育ったため、母国語の英語に加えスペイン語、フランス語を話す事ができた。

若くして華やかで輝かしい名声を手に入れ、その才能からブラック•ピカソと呼ばれた。

マドンナから愛され、アンディウォーホールがその才能に嫉妬したという。

毎日派手な生活をし、自分の着るものや飲食に多額な費用を費やした。

生前を知る恋人が映画の中で(彼は銀行口座をもたず、お金の管理という物を全く知らなかった。お金は全て自分の家のベッドの下に札束にして放置していた)と証言していた。

映画を見ているうちに胸が痛くなった。

大都会の中でバスキアが金と名声と才能をもてあまし、その中で必死にもがいているかのように見えた。

一人で孤独な戦いをしているかのような無防備な生き方が痛々しく思えた。

唯一ウォーホールが彼のよき友人であり、理解者であった事は鑑賞者の目に安堵させる。

アーティストとして成功してはいたが、まだまだ人種差別が残る80年代の社会において、黒人であるという人種の壁から羽ばたく事は出来なかった。

もしもバスキアが27歳という若さで夭折することなく、今も生きていたとしたら? バスキアへの最高のレクイエムは今も尚世界中で人気のある彼の作品への我々の渇望だろうか。
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by galerie-h | 2011-03-01 11:44