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by galerie-h

北アフリカの血が混ざっていたため、茶色の大きな目と黒い髪の毛を持ち、砂漠の遊牧民のような風貌をしていたパウル・クレー。音楽に満ちあふれた家で育ち、その芸術的感性と才能を自然と幼い頃から育んでいきました。


「クレーの日記」によると、「まだ年もゆかないこの私に、クレヨンで画を描くことを教えてくれたのは、この祖母だ」と書かれています。この祖母というのは母方の祖母で、彼女はクレーが幼い頃に、線画を描いてみせたようです。後にクレーは線描画家としてスタートしますが、それは幼児期に祖母から絵の手ほどきを受けたことによる端を発するようです。


クレーは高校卒業後、自分の進むべき道、進路に悩みます。文学に没頭するのか、音楽を創造していくのか、考えた末に、造形芸術に心惹かれ、美術の勉強のためにドイツへ行き画塾に入り、その翌年に美術学校に入学します。その頃のことをクレーは次のように回顧しています。


「みのり多い美術学校時代を過ごせるように、いろいろ努力してみたが、私が本当に力を入れて勉強したのは造形美術ではなく、むしろ文学的・詩的なものだったように思う。なぜまた美術学校などへ行ったのか。叔父や叔母に聞かれたとき、『はい、私も美術学校を卒業したのです』と答えられるため?」


画家パウル・クレーの道は決して初めから平坦なものではなかったのです。

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# by galerie-h | 2018-07-31 12:38



人は何故、旅に出るのでしょう。


おそらく、旅をした人ならば誰にでも、「忘れられない旅」というものがあるのではないでしょうか。


前回の記事で、音楽を愛した芸術家、パウル・クレーについて書かせていただきましたが、このアーティストにも「忘れ得ぬ旅」というものがあります。

その旅はパウル・クレーに、とても強いインスピレーションを与えました。


パウル・クレーが、一体どこへ旅に行って強い感銘を受けたのか、想像がつきますか

その旅の行き先とは北アフリカの「チュニジア」でした。それは一見、スイス出身の画家パウル・クレーとは結び付きにくい場所かもしれません。しかしながら、この地はクレーにとって所縁のある土地でもあるのです。実はクレーの母方の家系はさかのぼると北アフリカの血が混ざっているといわれます。


1914年の春、パウル・クレーは友人とともに北アフリカのチュニジアへ旅立ちました。チュニジアの照りつける太陽の光の下、砂漠の色やオアシスなどの原色の世界が、眩いばかりにパウル・クレーを幻惑させたのでしょう。この旅で感じたことをパウル・クレーは興奮気味に手記に残しています。


「色彩が私を手に入れてしまった。これが幸福のひと時でなくて何だろう。」


その旅行以後、パウル・クレーの作品は大きな変容を遂げました。

チュニジアへの旅は、パウル・クレーに色彩開眼をさせた、まさに「忘れ得ぬ旅」だったのです。

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# by galerie-h | 2018-06-29 13:37

英語やフランス語で「女神」を意味するミューズという言葉、その語源はギリシア神話のムサ(ムーサ)からきています。ギリシア神話では文学や芸術を司る女神たちのことをムサと言います。そしてこの「ムサ」という言葉から産まれた、ミューズという言葉は、ヨーロッパの多くの国で派生して、ムシカ、ミュージック(音楽)、ミュゼ、ミュージアム(美術館、博物館)という言葉が生まれました。


便宜上、音楽と美術という、それぞれ違うカテゴリーに分かれてはいるものの、その語源の大元が同じものであるというのは大変興味深いものです。美術は好きでも音楽はそれほどではない、という人もおられるかもしれませんが、ここでは美術も音楽も非常に愛した芸術家について少し触れたいと思います。


キース・ヘリングは、ラジカセなどで大音量でロックを聞きながらライブ・ペインティングを行いました。

小磯良平は朝、作品の制作前や制作後にアトリエで大好きなクラッシックをよく聴いていたといいます。

奈良美智はパンクやロックを聞きながら作品を制作したりするようです。

例を挙げればきりがありませんが、芸術家と音楽は密接に結びついていることが多々あります


様々な古今東西の芸術家の中でも、一際音楽を愛した芸術家がいます。パウル・クレーです。音楽一家の元に生まれたパウル・クレーは幼少から音楽に親しみ、幼くしてスイスのオーケストラに籍を置くほど、ヴァイオリンの腕はプロ級でした。その後様々な迷いの中で、絵画の道を選択しました。そうしてその選択のおかげで、今日私たちはパウル・クレーの素晴らしい作品の数々を鑑賞することができます。




「芸術の本質は、見えるものをそのまま再現するのではなく、目に見えないものを見えるようにするものである」

                Paul Klee

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# by galerie-h | 2018-05-31 11:30

前回の記事でジョアン・ミロと日本について少し触れましたが、現在バルセロナのミロ美術館で伊東深水の特別展が開催されています。美人画で知られる、日本画家の伊東深水が、何故ジョアン・ミロ美術館でとりあげられたのか、日本人には大変興味深いところではないでしょうか。


ミロ美術館は、ジョアン・ミロの作品と日本の芸術や思想とのつながりの特性を、深く探りたい、という目的のため、伊東深水の企画展を行うことにしたようです。


この展覧会を現地で訪れた時に、海外で見る伊東深水の作品の美しさに見入ってしまった事はさることながら、鑑賞している人たちの関心の深さにも目を見張りました。四季の移ろいの中で、まるで物語のワンシーンにいるような着物姿の女性、花鳥風月、それら雅な作品の数々が、日本から離れた外国の人々の目に、どのような印象や感動をもたらすのか興味を持ちました。

会場には日本人の姿もちらほらと目立ち、望郷の念を持って、伊東深水の作品を鑑賞している人もいたに違いありません。


このバルセロナで行われている伊東深水の展覧会の副題は、(伝統性と現代性)と記されています。

この伝統性と現代性という言葉は伊東深水だけでなく、ジョアン・ミロの作品にも通ずる言葉のように思います。

伊東深水の美しい作品のみならず、比較文化を楽しめる、大変素晴らしい展覧会でした。

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# by galerie-h | 2018-05-08 11:25

ジョアン・ミロと日本


ジョアン・ミロが初めて日本を訪れたのは1966年の事でした。

その後1970年にも、大阪万博に陶板壁画を制作するために来日しました。

ミロにとって最初の日本訪問は、とりわけ印象深いものでした。 

来日した際に、ミロが大変心惹かれたもの、影響を受けたものとは一体何だったか、想像がつきますか。


20世紀前半に多くの芸術家が影響を受けたように、ジャポニスム(19世紀にヨーロッパで流行した日本趣味のこと)はミロに新しい感性やテーマ、主題を想起させました。又、伝統的な日本の芸術様式に着想を受けて、版画技術への興味に目覚めました。


ミロが描いたある肖像画の背景には、ジャポニスムの影響がはっきりと見られます。日本の風景に、赤い着物姿の日本女性や稚児が描かれていてる、タペストリーのようなものが、肖像画の背景に描かれています。ちなみに、かのゴッホも、ある肖像画の背景に多くの浮世絵を描きました。


ジョアン・ミロはシンプルを好みました。シンプルであることは自由を獲得することに等しいと言いました。ミロの作品には、まるで禅画や書道を連想させるようなものが数多くあります。自由でのびのびと描かれた線、点、色は、まるでミロが創り出す小宇宙を見るような不思議な感覚に私達を誘います。もしかすると、ミロが生み出した、独特の小宇宙のような作品の数々は、日本で見て、感じたものから着想を得たものもあるに違いありません。

ジャポニスムの影響を受けたミロの作品をまた違う角度から鑑賞してみてはいかがでしょうか。


「ひとつの絵画は決して終わらない、そして決して始まらないものである。ひとつの絵画は風のようなものだ。それは常に、絶え間無く歩み続けるものである。」

                               ジョアン・ミロ



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# by galerie-h | 2018-04-04 11:10