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マティスの切り絵

「私が夢見るのは人の心を乱し、気を滅入らせるような主題のない、調和のとれた、純粋で静謐な芸術である」アンリ・マティス

アンリ・マティスといえば20世紀を代表するフランスの芸術家の一人としてその名を広く知られています。マティスよりも11歳年下だったピカソは彼と友人でありましたがその一方でライバルでもありました。かのピカソがライバル視したマティスとは一体どのような芸術家だったのでしょう。

マティスは「色彩の魔術師」といわれ、のびのびと自由なタッチで大胆かつ鮮やかな色彩を特徴とする作品を多数つくりあげていきました。その作風からマティスの作品は野獣派(フォーヴィスム)と呼ばれ、彼は野獣派の代表作家として当時見なされました。しかしながらマティスはその事をこころよくは思っていませんでした。彼は当時次のような言葉を残しています。

「わたしは人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい」

そのような思いを実現させるかのように後に南仏に移り住み画風がかわってゆきます。
そしてマティスは晩年に新しい命ともいえる新たな作風を生み出すことになりました。大病を患い車いす生活を余儀なくされたマティスは油絵の絵筆をベッドの上で握ることができなくなりました。そこで助手に手伝ってもらいながらガッシュで着色した紙をはさみで切り抜いていく『切り絵』という新しい手法によって、絵画の創作活動を続けてゆきました。その方法は自然などを見て感じた感情や感覚をダイレクトに面や色彩で即興に表現していけるため、マティスにとってハサミは絵筆に取って代わる大きな道具となりました。そしてこれが後に晩年の傑作ともいわれる版画作品「ジャズ」シリーズへと昇華されてゆきました。

近年、大規模なマティスの切り絵展がロンドンの近代美術館テート・モダンで開かれましたが、ロイター通信によるとその時の入場者総数は56万人超となり、2000年にオープンしたテート・モダンで初めて50万人を突破する展覧会となったようです。テート・モダンの館長は「あらゆる年齢層のイマジネーションに訴えた展覧会だった」というコメントをしています。
生きる喜びを表現するかのような鮮やかな色彩にあふれ、躍動感のある切り絵の作品の数々にあらゆる人々が心動かされたのではないでしょうか。晩年の切り絵制作をしていたマティスの人生は決して恵まれた状況ではありませんでした。第二次世界大戦の頃で家族とは離別、そして前述したように大病を患い絵筆も握れなくなってしまいました。そのような状況にあってもマティスが芸術を放棄せず多くの人々の心に訴える素晴らしい切り絵の数々を創造してきたことに畏敬の念を抱かずにはいられません。

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by galerie-h | 2015-11-30 12:25